吉成秀夫(書肆吉成)
石原誠さんの追悼文を私が書くことになろうとは、なんとも不思議なご縁です。編集担当幹事から「同業者としての思いや情報があれば一文を」と原稿依頼がありました。同じ古書店主として先輩を「送る」、送別するのが後輩の務めなのですね。
石原さんは若手のわたしたちに対して「自分の得意な専門分野をつくれ」といつも励ますようにアドバイスしてくれました。その言葉通り、石原さんのサッポロ堂書店は「環オホーツク」を掲げた専門古書店でした。オホーツク海沿岸エリアを一体のものとみなす新しいヴィジョンのもと、サハリン、カムチャツカ、アムール河、東シベリア、沿海州、さらに満州までを射程にいれた書物や民具などを蒐集、目録にまとめたカタログ通信販売に注力してこられました。私は網走で高校生だったころにあった考古学の宇田川洋講演で「環オホーツク」という文化圏・交流圏を知ったのですが、それを知ったときは地図がひっくり返るようなコペルニクス的転回を感じたのを覚えています。窓の向こうに広がるオホーツク海は別の世界とつながっているのだということをはっきりと認識したのです。それなので後年私が古書業界に入り、石原さんのお仕事を知ったときは興奮しました。書物のアーカイブスによって新しい世界像や隠れた価値を浮かび上がらせることができる。それを商売として実現しようとする、ほとんど革命的かつ創造的と言って良いような活動に見えたのです。「環オホーツク」に並ぶ本の集まりは、国境を超えて多民族が関係しあうスケールの巨きな人類史観があることを私たちに教えていました。
石原誠さんは1946年、安部誠として室蘭で生まれました。会津藩の子孫です。中学1年のときに札幌の琴似に移ります。そのとき父方の祖父が時計台のあたりで二代目の質屋をやっていました。弘前大学へ進学してからは学生運動には参加せず、当時アメリカ領の沖縄学に没頭します。卒業後はゴムホース工場、新聞社の印刷部門、りんご問屋など労働の現場を肌で感じ、卒業5年後に沖縄へ、伊江島の平和活動家・阿波根昌鴻に師事しました。1975年から那覇市の古書店・遊古堂書店にて2年間のまかされ店長、帰郷して1978年から札幌の弘南堂書店にて3年間の古書店修行を経て、1981年「サッポロ堂書店」を独立開業します。と同時に、森竹竹市の妻のサミさんがキューピッドとなり石原イツ子さんとご結婚、石原姓を選択しました。「私は最初から目録販売中心ですから、自分の分野の本を集めようとしてました。もちろん固定客もいないし大口の仕入れもない訳ですから、いきおいセリと他の本屋さんの目録で買ったり、それから他の本屋さんに行って店頭で一冊でも分けてもらう、そのためにも人間関係を良好にするようにして、かなりいろんなお店で買ったり、目録で買ったりもしたものです」(『札幌古書組合八十年史』p.252)と駆け出しの頃をふりかえっています。この発言のとおり、道外の市場へも頻繁に通い、他店からも積極的に仕入れ、お客様へ旺盛に売り、また買い取りました。『サッポロ堂書店古書目録・北海道・シベリア文献目録』は42号を数え、出版や発売元となった書籍は40冊を超えます。このような活動ができたのは石原誠さんの人柄と積極性があってのことでしょう。顔が広く、多くの人に慕われたことが、仕事から伝わってきます。アイヌ語地名研究会の会員としても私の先輩でいらしたのですね。西武ロフトの紀伊国屋書店内、帯広の藤丸デパート、新札幌サンピアザ光の広場での「古書の街」と称する合同催事をコーディネイトしたのも石原さんで、私も一部参加させていただきましたが、そこでは各参加店がそれぞれの個性を発揮し合うことがお客様への最良の売り場づくりとなる理想の古本市でした。
2018年に重篤な脳梗塞に倒れ寝たきりになってから7年間の闘病生活を、奥様のイツ子さんと、イツ子さんの妹さんたちと、娘さんの真衣さんとが支えましたが、大腸癌も見つかり、2025年1月13日、ご家族に見守られながら、享年満78歳で息を引き取ったそうです。10年余り前に「僕は無宗教だけども、もし死んだら葬式をあなたにやってもらいたい」と大倉一郎牧師にお願いしていたらしく、その御遺志のとおり1月15日、プロテスタントの札幌北光教会にて葬儀が執り行われました。葬儀のさいご、ご遺族代表のご挨拶は娘の真衣さんでした。誠さんが病に倒れたとき、奥様のイツ子さんが看病にあたりながらサッポロ堂書店の商売を維持していました。そのあまりの負担を目にした真衣さんが、サッポロ堂書店を閉店した方がいいと言ったとき、イツ子さんは「誠さんが生きている限り、サッポロ堂はたたまない」と返事したそうです。その時のことをお話になる真衣さんの声のふるえが、私には忘れられません。祭壇に飾られたご遺影はとても若々しい石原誠さんのにこやかな表情でした。
3月、全国古書籍商組合連合会の機関紙「全古書連ニュース」は、サッポロ堂書店の代表者の名義変更を報じました。そこには「サッポロ堂書店 新 石原イツ子」と書かれてありました。サッポロ堂書店はこれからも続きます。